2つの死で教えられたこと

 2024年4月。
45歳でわかれ、60歳で改めて親せき程度の付き合いをするようになった元夫が、緊急入院をした と娘から連絡がありました。

そして、2026年1月13日。

永眠しました。

 

それからひと月余りが過ぎた2月16日。

今度は娘婿の父親が、誰にも看取られることなく独り静かに旅立った  との報せが届きました。

 

 状況こそ対照的でしたが、私はそこに、

命が辿り着くべき場所へと帰る『理(ことわり)』を改めて教えられました。

 

それは、「死は祝福である」という教えの、確かな実感です。

 

 一方は、二年にわたる闘病の末、幾度もの余命宣告を経て覚悟を決めていた旅立ち。

 

 晩年に愛した東南アジアへの旅がコロナ禍で叶わぬままだった彼は、肉体を離れるやいなや、その心残りを晴らすかのように山道を一心不乱に歩き、かつて何度も訪れたあの異国の地へと到達していました。

 

 

もう一方は、家人が帰宅したときには既に冷たくなっていた、突然の別れ。 

 

内海に船を出し、釣りを楽しむ日々を愛していた彼は、「自分の死に際を悲しむ子供たちのつらい様子は見たくない」と願い、魂の器を離れたあとは居住地の上空をゆったりと漂いながら、親しき人々へ穏やかに別れを伝えて回っていました。

 

 そんな彼らが辿り着いた「三途の川」での光景は、まさに死が祝福であることを物語っていました。

 

普段、魂たちはそれぞれの場所

—光に満ちた場所や、判で押したような日常が続く場所—

に居ますが、身内や知人が川を渡ってくると知ると、一斉に集まってきます。

 

やってきた者に対し、懐かしく声をかけ、肩や背を叩き合って再会を喜ぶ。

 

その賑やかで温かな時間は、祝祭そのものでした。

 

 しかし、それも束の間のこと。

 

挨拶が済むと、魂たちは潮が引くようにスーッと元の場所へ戻っていきます。

 

それから四十九日までの間、旅立った魂には、最後の「心残りを終わらせる時間」が与えられるようです。

 

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